長野地方裁判所諏訪支部 昭和38年(タ)3号 判決 1963年12月25日
原告 文野とよ子
被告 遠堂竹三〔人名いずれも仮名〕
主文
原告の訴を却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
一、原告は、「昭和二四年六月一一日付の届出によつてなされた原被告の協議離婚は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求原因を次のとおり述べた。
(1) 原告は、昭和二二年一〇月二二日被告と結婚式を挙げ、翌二三年一〇月二一日婚姻の届出をした。
(2) ところが、その後被告は情婦の許に身を寄せて原告と別居し、同二四年六月一一日付で原告と協議離婚をする旨の届出をした。
(3) 右協議離婚の届出は、被告が原告の知らない間に、勝手に原告の署名押印を偽造してなしたものであつて、原告は被告と離婚する意思は全くないから、当然無効である。
(4) よつて、原告は右協議離婚が無効であることの確認を求める。
二、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、次のとおり述べた。
原告の請求原因(1) の事実及び(2) のうち、原告主張の日に被告が原被告の協議離婚の届出をした事実は認めるが、その他の原告主張事実は争う
原告は被告と離婚することに合意し、離婚届の手続事務一切を被告に一任したので、被告も右手続を実兄の訴外小村坊三郎に委任して協議離婚の届出をしたものであるから、原被告間の協議離婚は有効である。
なお、原告は昭和三七年三月三〇日長野家庭裁判所諏訪支部において成立した慰藉料請求家事調停(同庁昭和三六年(家イ)第七三号事件)においても、右協議離婚の事実を認めており、右離婚に基く慰藉として、被告から金三万円の支払を受けたものである。
三、証拠<省略>
理由
一、真正な公文書と推定すべき甲第二ないし第四号証及び原告本人尋問の結果によれば、原被告は昭和二二年一〇月二二日挙式し、翌二三年一〇月二一日付で岡谷市長宛に原被告の婚姻の届出がなされ、その後同二四年六月一一日付で諏訪市長宛に原被告の協議離婚の届出がなされ、それぞれその旨戸籍に記載されていることが認められる。
二、そこで、右協議離婚の無効原因の有無について判断する。
前掲甲第二号証、第四号証及び真正な公文書と推定すべき乙第一号証に、証人村田威男の証言及び原被告双方本人尋問の結果並びに甲第一号証(検証物)の記載を総合すると次の事実を認めることができる。
(1) 原被告は挙式後、被告が前から借り受けていた被告の肩書住所地である訴外村田威男の管理する家屋の二階の一室に同居し、昭和二三年一月からは、原告の肩書住所地の原告の実家に移住したが、被告は原告がその実母と常に口うるさく口論することに不快の念を抱いていたところ、同年二、三月ころ米五升が紛失したことがあり、その疑いが被告にかけられたため、嫌気がさして即日家出した。そして、行き先もないので右村田威男の管理家屋の二階を借り受けていた顔見知りの訴外伊東ともの住居内の一室に数日滞在させてもらつているうち、同女とねんごろな仲となつてしまつたので、原被告の結婚の仲人をつとめた右村田威男からの注意もあり、原告との関係を清算するため、同年四月ころ、原告の実家で、村田威男と原告の実母の立会いの下に、原告と話合いをした。その結果、原被告間に、(イ)被告は原告に対し慰藉料として金五〇〇〇円を三回に分割して支払う、(ロ)当時原告が懐妊していた子供は、出生後被告が引き取つて養育する、(ハ)原告の実家に残つている被告所有の毛布、食器等は原告に贈与する等の条件で、事実上の離婚についての合意が成立し、被告は右慰藉料を同年六月ないし八月ころまでの間に三回に分割し、村田威男を通じて原告に支払つた。
(2) その後、同年一〇月一二日原告が男児を出産したので、その翌日被告がこれを引き取り、武夫と命名して出生届をしようとしたが、法律に無知なため、自己の嫡出子として届け出るには、原告との婚姻届を出すほかはないと考え、原告から「文野」の印鑑を借り受け、武夫を自己の嫡出子として戸籍に入れるためだけの目的で、前記のとおり同月二一日に岡谷市長宛に原被告の婚姻届をし、それと同時に同日武夫の出生届もした。その後武夫は伊東ともが事実上面倒をみていたが、肥立ちが悪く同年一一月一〇日死亡するに至つた。被告は、その後も原告との婚姻関係の記載のある戸籍をそのままの状態で放置していたが、伊東ともとの間に子供が出生したため、その子供の籍を入れるため、自己の実兄小村坊三郎に委任して原告との協議離婚届を原告に無断で前記のとおり翌二四年六月一一日付で諏訪市長宛になし、続いて同年七月一一日に岡谷市長に宛て伊東ともとの婚姻届をし、妻の氏を称して今日に至つている。
(3) 一方、原告は被告と前記事実上の離婚をした後、健康も思わしくなく、不運の日々を過ごしていたが、自己の境遇にひきかえ、被告が伊東ともとの間に二児をもうけて平穏に暮していることを聞き、自己の不遇はすべて被告の責任であると思いつめ、被告に対する憎悪、復讐の念も加わつて、被告を相手方として長野家庭裁判所諏訪支部に慰藉料請求の調停を申立て、それが不調になるや、昭和三六年に再度同庁に同趣旨の申立をし、その結果同三七年三月三〇日同庁において、原被告間に、原告は前記昭和二四年六月の協議離婚届で原被告が離婚したことを認め、これを前提として離婚に基く慰藉料として、被告から金三万円の支払を受ける旨の調停が成立し(同庁昭和三六年(家イ)第七三号事件)、その後同三七年九月までの間に原告は被告から右三万円全額の支払を受けた。一方、被告は右調停の際には、すでに昭和二三年の事実上の離婚の際に慰藉料金五〇〇〇円を支払ずみであるので、さらに慰藉料の支払をする必要はないと考えたが、金三万円を支払うことによつて、今後原告から一切言いがかりをつけられることがなくなるというのであるなら、この程度の出費はやむを得ないと考え、右調停に応じた。ところが原告はその後も被告に対する憎悪の念が消えさらず、被告を困惑させるためにさらに本訴を提起した。
前掲証言及び双方本人尋問の結果中、右認定に反する部分は信用することはできないし、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。
右認定の事実によると、昭和二三年一〇月二一日付の届出による原被告の婚姻は、すでに当事者が事実上の離婚をした後、しかも子供を嫡出子として届け出る目的のためになされたものであるから、婚姻意思を欠くものとして、無効であることは明らかであり、右婚姻が無効である以上、その後になされた同年二四年六年一一日付の届出による原被告の協議離婚もまた無効であることはいうまでもない。
三、一般に身分法上の訴においては、協議離婚無効確認等過去の事実もしくは権利関係の確認を求める訴であつても、戸籍訂正の必要があり、かつ、その訂正につき確定判決を要する場合には、その限度において少くとも訴の利益があるものと解することができる。そして、ここにいう戸籍訂正の必要とは、身分関係を公証する戸籍制度の理念からいつて、戸籍上真実に反する記載があれば、これを訂正すべき現実の必要性の有無を審査するまでもなく、一応、原則としては訂正の必要ありと認めてもよい。
そこで、今これを本件についてみると、原被告の無効な婚姻及び協議離婚が戸籍に記載されていることは前記認定のとおりであるから、原告が婚姻の無効もしくはそれを前提とする離婚の無効を訴求するのであれば一応訴の利益があるようにみられないでもない。しかしながら、(イ)原告が本訴を提起した目的は、戸籍の記載を真実に合致させるためではなくて、むしろ被告を憎悪する余り協議離婚の記載だけを消除して真実はすでに被告となんら実質的な夫婦関係はないのに戸籍上被告との婚姻関係を存続させて被告を困惑させるためにあることは前記認定のとおりであり、(ロ)原告には真実に反する戸籍の記載を訂正しなければならない現実の具体的必要性は全く認められないし、(ハ)原告自身、すでに前記事実上の離婚及び家事調停の際、二度にわたつて被告と別れることに合意し、あるいはその事実を確認したうえ、被告から慰藉料の支払を受けているのであるから、今さら被告に対して協議離婚の無効を主張することは禁反言の法理からしても許されない立場にあるものと解され、しかも、(ニ)戸籍上の原被告の婚姻及び協議離婚の記載は真実に反するものではあるが、これを消除せず存置しておいても、原被告間に婚姻関係が存在しないという現実とは合致しており、その他なんら実害を生じないものと認められるので、以上のような事情の存する本件においては、前記一般原則に対する例外として原告にはもはや戸籍訂正の必要性は認められず、従つて本件訴は確認の利益を欠くものと解するのが相当である。
四、そうであるなら、原告の本件訴は不適法であるからこれを却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 馬場励 中川敏男 片岡正彦)